学者や文化人の低い情報リテラシー

白書やアンケートなんでも

ほとんどの人が、調査と言えばアンケート(調査)をイメージしてしまう。
アンケート(設問)への回答をそのままパーセントなどにして発表すれば、情報を発信したと思い込んでいるマス・メディアや政府役人たち(白書など)の無責任さに警鐘を与えるつもりだった。

現実はもっとヒドイ。文化人や社会学者といわれる人々が間違った調査統計データを間違って利用し、間違った(アンケート)調査を間違って使っていることが多い。
高い視聴率の番組やベストセラーに近い社会評論の本などに加え、影響力のある全国ネットのテレビ局や社会学者でさえも、情報リテラシーやリサーチ・リテラシー以前の知識レベルとみられる情報の取り扱い方をしている。

客観性や信頼性というばかりの低い情報リテラシー

"正しそう"に見える日本や米国など先進諸国の公的調査や統計と言えども、調査の方法や設問および統計計算の仕方が、目的対象や時代に合っていないものであれば、どのようにきれいな統計表や図表になっていても、それは正確な対象や社会を映すことにはならない。

社会や時代の変化の速度に大幅に遅れた調査設問データや統計情報は、トフラーのいう「死知識」でもあるが、それ以上に深刻な社会的誤解や相互不信の問題をもたらすことを警告している。

いままでも今も、国・社会・企業や大学などや、これらに所属する人々は、何についても理論的に科学的に「ものごと」をすすめようとする。
「客観的に」といって統計データや調査結果を利用し、%や平均および相対的な尺度を基準にして計測・評価し、状態や環境の改善およびその計画などを作る。

心地よい格差発言など日本語としても論外

今朝(2006年9月13日)の朝日新聞を見てビックリした。
小泉内閣の構造改革の推進役でもあり、ここ10年の規制緩和(改革)のリーダー的存在であったオリックス会長の宮内義彦氏が、「心地よい格差は必要だ」と言っているのだ。

経済のパイを大きくするためにはということだろうが、「心地よい」などという形容詞を「格差」にはつけて欲しくないのだ。
耳に響きのよい形容をすることで、本質が遠ざかるばかりか、「このような日本語がありなのか」とさえ思ってしまう。